(1)議員って何だろう?

議員のイメージについて

 皆さんは地方議員にどんなイメージを持たれますか?
「国会議員ほどではないが権力を持って私腹を肥やすヤツ?」「地域の代表者?」「地元の便利屋?」etc・etc・・・。私は「議員イコール政治家」とは限らないと思っています。もちろん政治家以前の政治屋さんも多くおられるようですが・・・。市民運動や環境運動の活動家が議席をもって活動しているということもあるでしょう。私の描く議員像は「住民自身が自分の責任において自分の町づくりに参加する。そういう運動の事務局員あるいは専従者が議員」です。

住民自治が民主主義の基礎

 では、なぜ住民が町作りに参加することがそんなに大切なのでしょうか。戦前の憲法には住民自治という概念はありませんでした。戦後に生まれた憲法では戦争の反省から民主主義を徹底するため、国の権限を国会・内閣・裁判所の三つに分立しました。しかし、それだけではまだ不十分で、そのため、地方自治という新たな一章を設けました。住民が生活にもっとも身近なところで行政に参加をすることで、民主主義の充実をはかろうとしたのです。住民が主(あるじ)として責任を持って自分たちの意見を調整し、施策を決定していく。その過程で話し合いのルールや意思決定のあり方を住民自身が学んでいく。「地方自治は民主主義の学校」と言われるのはそのためです。

議員は職業か役割か?
 しかし、みんなそれぞれ生活するために働いたり、子育てしたり、家事をしたりと、日々の暮らしがあるのですから四六時中、市政のことを考えたり活動したりしていられません。そこで、専門的に市政について考え、行政のあり方を監視する役割の人を選んでこの人に日常のチェックを委任しているのが議会の制度です。ですから基本は「住民の自治」であり、その一つの手段として「議会」があるという関係になります。「住民投票などの住民の直接参加は議会制民主主義の侵害だ」という議員がいますが、これはこうした理由から本末転倒の考えといえるでしょう。
 近年、行政が巨大化し、専門化するに従ってこれをチェックする議員の方にも専業性・専門性が求められるようになってきました。その結果、議員が一つの職業として「住民自治」から切り離されて特殊な地位を持つようになってきます。そして有権者も議員も住民自治の本来のあるべき姿を見失ってしまいます。住民が「議員は『偉いさん』ではなく自分たちの運動の専従者」との視点から議員の業務査定をキッチリしていくことが必要ですし、議員の側もそのことを常に自覚する必要がある思います。

住民自治を形骸化する大都市
 高度経済成長に歩調を合わせて全国で自治体の合併が進みました。ねらいとするところは財政力の増大と業務の合理化です。地方自治法が施行された頃、全人口の6割にあたる人が人口10万人未満の自治体に暮らしていました。この10万人という数字は住民の直接請求制度などから見て最大の値で、これを越すと直接参加の機会は減少します。神戸市で行われた空港建設を巡る住民投票は希な例で、大都市ではほとんど住民投票制度が活かされていません。住民投票は一例ですが、こうした事が住民を自治体行政から遠ざけ、投票率の低下にも影響しているように思えます。その結果、議員が『偉いさん』さんに成り下がり、さらに住民の地方政治離れを生むという悪循環を作り出しているようです。

いわゆる二世議員について
 議員の本来の性質を考えると世襲とは相容れないものです。東大阪の土地柄でしょうか、公明党や共産党という組織政党にも二世議員がいますし、私も二世議員です。自己弁護になるかも知れませんが、二世だからだめとは一概にいえないと思います。もっとも二世議員であってもニセ議員にならないように心がけていますが・・・。
実のところ、地方議員(特に市会議員)は、なり手が少ないのです。現在の報酬では24時間365日という実働時間(→議員の日常へ)から考えると職業としては割が合わないということもあります。若手の議員にとっては同年代の人とは比べものにならない高給ですが、定年間際の世代で比べると決して高い報酬とは言えません(→議員のフトコロへ)。4年に一度の「失業の危機」があり、落選しても退職金は出ません(年金の支給も3期以上)。また郵送費や行動費、事務経費などが必要経費として控除の対象になりません。こうした実態から二世以外になり手がいないという側面もあります。だからといってこの状況がベターとは思いません。住民自治の延長として誰もが立候補しやすく多くの人が議員の経験をできる事が望ましいのはいうまでもありません(→選挙に行かない市民の会へ)