その1・・・政治はトイレだ!
                                                                                           
 

−政治はトイレみたいなもの(汚くてあたりまえ)−


 随分以前から政治不信ということが言われています。
 特に東大阪市は前市長の汚職事件で全国的に有名になってしまいました。旅行先で「どちらからお越しですか」と尋ねられて口ごもり「大阪の東の方です」なんて応えた方も多いと聞きます。
 たしかに政治の世界は決してきれいなものとは言えません。大勢のそして多種多様な人間の要求や欲望を調整するのが政治の役目ですから、そこには最初からドロドロしたものがあります。
私は常々政治は、家の中で言えばトイレみたいなものだと思っています。最近では水洗化が進みトイレもおしゃれで清潔な場所になっていますが、私が子どもの頃、昭和40年代はどこの家でもトイレは家の隅にあって薄暗く、きれいな所とは言えませんでした。そもそも不浄と言うぐらいですから。
 亡くなった私の祖母は明治生まれの人間で、「その家の掃除が本当に行き届いているかどうかはトイレを見れば分かる」と言ってはいつもせっせとトイレ掃除をしていました。おかげで、我が家のトイレは快適なものでした。
 トイレが汚いからと言ってだれも掃除をする者がなければ、ますます汚いものになってしまいます。さらに困ったことには、汚いからと言って近寄らなくても済むのならそれでもいいのですが、やはり日に少なくても2〜3度は行かねばならないところです。

−だから掃除が必要なんです−


 政治の世界も全く同じで、元々ドロドロした汚いものだからこそ、マメに掃除をし、窓を開けて空気を入れ換えるといったことをしなければ、ますます汚れていきます。また、トイレほど必要を痛感しませんが、それでも朝おきてから寝るまで、また生まれてから死ぬまでの間、政治は私たちの暮らしに密接に影響を与えるものですから、放ってはおけません。とりわけ、地方政治は最も私たちの身近にある政治です。
 住という字は人が主と書きますが、住居の一番汚いところの掃除が主の責任であるのと同様に、社会の一番汚いところの掃除は社会の主の責任です。政治家は選挙の時には「住民が主人公」といいますが、選挙の時だけではなく、選挙から選挙の間が大切なんですね。「社会の主人公」というのは政治家にしてもらう者ではなくて、住民が自分たちの努力でなっていく者だと思います。
「家(ウチ)のトイレは汚くてどうしようもない」と嘆いて何もしないでいる人はまずいないでしょう。政治はトイレです。いざ使うときに汚くて近寄りもできないものにしないために、少しだけ時間を作ってマメに掃除をしておきましょう。